京都鴨川 納涼床=ゆか 女将の京ことば
2009年9月28日 10:07
前回の続き、京都鴨川 納涼床=ゆか対談 原稿おこしの現場から 流れ聞こえる対談の再生音は、和気藹々と流暢な「京ことば」が流れてきます。が テキストとなると 「お食事ができるんですかっておいやす、、ね。」「あれはどないかなりませんかってゆわはって、いうたはりますってゆわはって、」はい 文を読むのに引っ掛かって、引っ掛かって やはり ことば は 音がないと 伝わらないと 感じっています。まあ この言葉を聞きに来るのも京都観光の要素でしょう。綺麗な言葉でお話される方は、お姿も見目麗しいようで、町の風景も音の整ったところは、どことなく風情があります。時代は観光から観音へ そうだ京都を聴こう。
京都鴨川 納涼床=ゆか
2009年9月16日 14:11
9月10日夕刻 京の風物詩 納涼床=ゆか 来年の広報誌に向け 座談会 主人公は 市田ひろみさん そして老舗の大将、女将が加わり、「京の納涼床 いまむかし そして おもてなし」
毎年 6月から9月まで、京都鴨川の川縁に出される 川床は 京の夏の風物詩として江戸時代から続くとか。変わりゆく景観の中で、伝統を如何に残しつつ、生かすのか 大きな課題です。 京都を感じるのは
「京ことば」長い歴史の中から生まれた 人と人との触れ合い、処世術がうまく包まれています。挨拶から始まり、お見送りまで 接客のエッセンスがこめられているようです。その極意はと聞かれた 大女将の「うちら へいぜいから つこてますし おのずと 身に付いたもので、そういわれても」 この一言に、よそもんの私は 恐れ入ってしまいましたが、、、、
毎年 6月から9月まで、京都鴨川の川縁に出される 川床は 京の夏の風物詩として江戸時代から続くとか。変わりゆく景観の中で、伝統を如何に残しつつ、生かすのか 大きな課題です。 京都を感じるのは
「京ことば」長い歴史の中から生まれた 人と人との触れ合い、処世術がうまく包まれています。挨拶から始まり、お見送りまで 接客のエッセンスがこめられているようです。その極意はと聞かれた 大女将の「うちら へいぜいから つこてますし おのずと 身に付いたもので、そういわれても」 この一言に、よそもんの私は 恐れ入ってしまいましたが、、、、
銀座四丁目の音
2009年9月16日 13:36
日比谷から有楽町を経て、銀座へ。日曜日の歩行者天国。どうしても歩道を歩いてしまう人が多いのは、習性か。思ったより、音の種類が少ない。そう静かである。東京の人は歩きながらオシャベリはしないようで、この点が大阪、京都 関西のオバチャンがいないところ。なんか淋しく感じるのは関西在住だからだろうか。その分 立ち並ぶビル群にあわせたような余所行き、いや都会的お洒落な雰囲気。
そんな音風景をぶち壊しているのは、四丁目交差点に流れてくる音楽。さてどこからか、探すと四丁目交番上に大きなディスプレイが。誰に、なんの為のメッセージ。これは銀座ではルール違反です。渋谷、新宿なら街に溶け込むでしょうが。流れている映像も、BGMも決して銀ブラ層ではありません。ましてスピーカーの音質のひどさ。今日日、場末の歓楽街にもありませんね。スポンサーさん、代理店さん、プランナーさん 早々の撤退のほうが これではイメージダウンどころか犯罪でしょう。
そんな音風景をぶち壊しているのは、四丁目交差点に流れてくる音楽。さてどこからか、探すと四丁目交番上に大きなディスプレイが。誰に、なんの為のメッセージ。これは銀座ではルール違反です。渋谷、新宿なら街に溶け込むでしょうが。流れている映像も、BGMも決して銀ブラ層ではありません。ましてスピーカーの音質のひどさ。今日日、場末の歓楽街にもありませんね。スポンサーさん、代理店さん、プランナーさん 早々の撤退のほうが これではイメージダウンどころか犯罪でしょう。
Tokyo
2009年9月8日 14:59
北海道のアート アルテピアッツア美唄 1
2009年8月28日 15:30
札幌から車で30分 アルテピアッツア美唄 に 行ってきました。美唄市出身の安田侃 Kan Yasuda の作品をメインに 廃校となった小学校を再生した施設。自然と調和した 作品を配置した 彫刻公演です。北海道は、札幌の芸術の森、イサム・ノグチのモエレ沼公園、、、いわゆるモダンアートの多いところ。大がかりな、屋外展示は 恵まれた大自然もあり 関西、近畿では体験できないアートがあります。森の中に佇むそれぞれの作品を眺めながら耳を澄ますと、風にのって景色の息遣いを聴き取ることが出来ます。先ずは、自然の大パノラマの中の作品の姿を眺め、次は、光影によるの変貌を見る。そして
風にのった音を見つける。姿から心へと わけわからん彫刻が なんか 親しみを 感動をあたえてくる そんな一時です。
風にのった音を見つける。姿から心へと わけわからん彫刻が なんか 親しみを 感動をあたえてくる そんな一時です。

